ゆる午後の休息時間

〜浦風藤内と田村三木ヱ門のおはなし〜

「そろそろ一息入れようか」


 凛とした声におれははっとして我に返った。
 化粧筆を握りしめた手元から声の方へ顔を上げると、立花先輩が立ち上がろうとしているところだった。
「今日の活動を開始して間もない頃に斜堂先生がいらしてな。今日はこちらに顔を出せないからと、わざわざ茶菓子を用意してくださったのだ」
「わあ、それはありがたいですね」
「斜堂先生のくれるお菓子っていつも美味しいもんねー」
 伝七が表情を輝かせ、兵太夫も伸びをしながら声を弾ませる。
「おれ、お茶淹れてきます!」
「ん、そうか。いつも悪いな、藤内」

 慌てて生首フィギュアを置き部屋を出ようとすると、「藤内」と再び声が掛けられた。
「はい、何ですか」
「折角だから、今日はこれを淹れてきてくれ」
 立花先輩はそう言うと、金糸で繊細な装飾の施された筒を取り出した。
 片手に収まる大きさのそれは、物の価値なんてわからないおれにさえとても高級なもののように感じられたので、受け取るのを少し躊躇う。その様子に先輩は首を傾げた。

「どうした?」
「いえ、その……。なんだかとても高級そうなものなので、おれたちがいただいてしまっていいのかな、と思いまして」
 おずおずと告げると、立花先輩はきょとんとした後、愉快そうに声を上げて笑った。
「まったく、何を躊躇っているのかと思ったら。これは以前、ちょっとした任務の報酬代わりにいただいたものでな。確かに値が張りそうだ。気が引けてしまうのも無理はない。だが、私が言っているのだ。何を遠慮する必要がある?」
「そ、そうでしょうか」
「そうだとも。斜堂先生にいただいた菓子にはこの茶が合うと思ったのだし、何より、私がお前たちと飲みたいのだよ。美味いものは皆で分かち合った方が何倍も美味くなるというものだ。わかったら、これを受け取って人数分の湯を用意してきてくれないか」
「――はい」
 
 両手でしっかりと受け取ると、やり取りを見ていた兵太夫が両手を頭の後ろで組んで「浦風先輩真面目すぎー」と声を上げた。
「僕だったら食堂でこっそり中身を入れ替えて、美味しいものは三ちゃんと二人占め、くらいしちゃうけどなあ。あ、もちろん立花先輩のものではしませんよ? 団蔵や金吾のものならともかく」
「兵太夫、それって誰のものでもしちゃだめだから」
「いいじゃん。あいつら絶対、味の違いなんかわかりっこないんだからさ」
「そういう問題じゃないだろ。大体兵太夫はいつもそうやって……」
「あーもー、伝七うるさいー!」
 いつものやり取りを始めた伝七と兵太夫に「あんまり騒ぐなよ」と釘を刺してから作法室を出る。


 *


 いつもどこかで事件が起こってばかりの忍術学園だが、今日は朝から穏やかで、柔らかな日差しの下でゆるゆると時間が進んでいくような一日だった。光がさっきよりも大分柔らかくなっているのを感じ、どれだけ自分が生首フィギュアの化粧に熱中していたのかと反省する。日没まではまだ大分あるが、作業を始めたのは昼食後まだ日が高い時だったから、あれから一刻は経過したことになる。

(おれは本当に、駄目だなあ)

 思わずため息が漏れた。苦い気持ちで食堂の戸をくぐる。
「おばちゃーん、お茶を淹れたいんだけどお湯を……あれ、いない?」
 食堂に人気は無く、きょろきょろと辺りを見回してみても、そこにおばちゃんの姿は無かった。
「どこかに出かけてるのかなあ」
 まあいいか、と台所に入る。やかんに水を入れて火に掛けたとき、パタパタと小走りの足音がして、誰かが食堂に入ってきた。

「すみません、お湯が欲しいのですが……って、あれ、おばちゃんは?」
 声の主は会計委員会の四年、田村三木ヱ門先輩だった。先ほど自分がしたように辺りをきょろきょろと見回している。
「さあ、おれもさっき来たばかりなんですけど、見てないです。どこかに出掛けてるんじゃないですかね」
「ふーん、そうか。あ、それまだ沸いて無いなら、少し水足して貰えるか」
 田村先輩は言いながら中に入ってきて、てきぱきと湯のみを用意し始めた。やかんに水を足し、おれも隣に立って湯のみを盆に並べていると、棚を物色していた田村先輩が「あっ」と声を上げた。

 あっちゃー、と困ったように頭を押さえている姿を見て「どうしたんですか」と声を掛けると、先輩は困り顔のまま無言で茶筒を差し出した。受け取って蓋を開けてみると、中身は空で底が見えている。
「参ったなー、予備の茶葉とかどっかに無いかな。あいつら白湯だとうるさいんだよな。お前もお茶淹れに来たんだろ? と言うわけで、茶葉が無いから茶は諦めるんだな。……あ、おばちゃんこれ買いに出たのかな」
「いや、おれは……」
 立花先輩から受け取った筒に目を落とす。


 ――美味いものは皆で分かち合った方が何倍も美味くなるというものだ。


(なんて、先輩は言っていたけど……)
 ちらと、未だ頭を悩ませている様子の田村先輩に目を遣る。茶筒を握り締めると、また先輩の言葉が脳裏に浮かんだ。

「…………よろしければ、どうぞ」
 おずおずと先輩の茶筒を台の上に置き、視線を逸らす。立花先輩に悪い気がして、その美しい茶筒を直視することはできなかった。

「……」
「……」
 あまりに何の反応も無いのを不審に思い見上げると、田村先輩はものすごく胡散臭そうな顔でおれを見ていた。
「なっ、何ですか。自称とは言え、アイドルがしちゃいけないような顔してますよ」
「誰が自称アイドルだよっ! …お前、何委員会だっけ」
 田村先輩は一層疑るように眉をひそめる。
「作法委員会の三年は組、浦風藤内です」
 答えると、先輩は「作法か……」と呟き、台の上の茶筒に視線を移した。
「これ、毒とか」
「入ってないですよ! いきなり何てこと言うんですか、折角親切に言ってるのに!」
「ああ、いや、悪い」
 バツが悪そうに頭を掻く。
「……これ、お前らも飲むんだよな?」
「まだ疑ってるんですか、別に嫌なら飲んでいただかなくて結構です。立花先輩からお預かりしたものなんですから」
「えっ、立花先輩の? それってなんか別の意味でいただいちゃって良いのか? 見たところ、かなり高級そうな物のようだけど」
「ええまあ、それは多分説明すれば理解していただけると思います。心根は優しい方ですし」

(怒ることはあるかもしれないけど)

「そうか? じゃあ折角だし、少し分けて貰おうかな」
 そう言って、先輩は蓋を開けた。ふわりと上品で芳しい香りが辺りに拡がり、再び田村先輩が疑うような視線を寄越し。
「……おい浦風、お前らいつもこんなの飲んでるのか? まさかとは思うが、予算……」
「計上してませんってば! 立花先輩の私物だってさっきも言ったじゃないですか、いい加減にしてくださいよ!」
「す、すまん」

 田村先輩は茶筒を持ち直し、二つの急須に茶葉を入れる。
「どうもこの時期は気を張っているせいか、疑り深くなってしまってな。気を悪くさせたなら謝るよ。悪かった」
「いえ、分かっていただければいいんです。ああ、そう言えばもうすぐ予算会議でしたっけ。また徹夜で計算ですか?」
「いや、まだそこまで切羽詰まって無いから徹夜はしてない。このままハプニングさえなければ順調に行くんだがなあ」
 田村先輩は「ありがとう」と茶筒を返すと釜の方へ向かった。釜の蓋を開けて中を覗き込む。
「お、良かった。まだ結構残ってるな」
 しゃもじを手に取り、釜の中に残っていた米で握り飯を作り始める。

「あの、ハプニングって?」
「んー? 色々あるだろ、ほら。突然の特訓とか、左門の捜索とか、他の委員会からの妨害とかさ」
「大変ですねえ」
 「少し貰っていいですか」と隣に立つと、田村先輩は「ん」と飯をよそって手のひらに乗せてくれた。
「お前、他人事みたいに言うけどさあ、一番迷惑してるのって作法の妨害工作なんだぞ。そうだ、あいつら何とかなんねーの。ほら、一年の伝七と兵太夫。あいつらのカラクリ、最近えげつなさが増してきてるんだけど。同じ委員会の先輩として、なんとか言ってやってくれよ」
「ああ、それは無理ですね。あいつらはおれの言うことなんか聞きませんよ」
「さらっと言うなあ。仮にも先輩だろ、どうなのそれ」

 きれいな三角形になった握り飯を皿の上に置き、二つ目に取りかかる。呆れたような眼をした田村先輩は既に三つめに入っていた。
「正直、立花先輩も綾部先輩も凄すぎて、一年の二人におれは舐められてると思うんですよね。何の取り柄も無いおれがあの中にいると、ますます自分との違いを感じちゃうっていうか……作法委員会に居ていいのかな、って思うことも時々ありますし」
 自嘲気味に笑うと、先輩は意外そうに「へえ」と声をあげた。
「そんなこと考えてんだ。むしろ、自分がいないとこの委員会は駄目だってくらいなこと、考えてるかと思ってたけど。まあ、あの委員会は色々強烈だからなあ。僕だって今日から作法委員になれと言われても、おいそれと馴染める自信は無いよ」
「それこそ意外です。田村先輩は例え出来ないことだとしても、出来るって言い張る人だと思ってました」
「……お前、自覚無さそうだから言ってやるけど、その毒舌はまぎれも無く立派な作法委員だと思うぞ」


 計六個の握り飯を皿に載せ、田村先輩は湯気を上げるやかんを取り上げた。
「お湯沸いたぞ。このまま急須に入れちゃっていいか?」
「あ、どうぞお構いなく。味が濃くなってしまうので、いつもお湯だけ持って行って、急須に注ぐのは作法室でやってるんです」
「ふうん。……なら、わざわざここに茶葉を持ってくる必要も無かったんじゃないか」
「言われてみれば、そうですね」

 おれは火に網をかけ、醤油を塗った二つの握り飯をあぶりながら頷く。
「潮江先輩は渋いくらい濃いのが好きでな。会計委員会で飲むお茶はいつもここで急須に淹れてくんだ。そうすると、飲む頃にはすごく濃くて渋くなる。眠気覚ましの効果もあるのかな、一年坊主たちが船を漕ぎ始めた頃にこれを飲ませると、少しシャキッとするんだ」
「へえ、お茶一つ淹れるのにも随分色んなこと考えてるんですね。それに比べておれは本当に気がつかなくて、自分で自分が嫌になっちゃいますよ。今日も、危うく立花先輩にお茶を淹れさせてしまうところでした。作業を始めるとつい熱中しちゃって、周りが見えなくなってしまうんです」

 はああ、と肩を落として盛大に溜息を吐くと、背中で先輩が噴き出すのが聞こえた。
「……笑われるとは心外です」
「いやあ、悪い悪い。本当に浦風は真面目な奴だと思うと可笑しくってなあ。熱中できるくらいならいいんじゃないか。集中できない方が問題だ。ほら、いるだろ作法委員の四年い組、綾部喜八郎。合同演習なんかで一緒に組むと、すぐ飽きてどこかへ行っちゃうんだ、あいつ」
 用意が済んだのか、田村先輩は腕を組んで壁にもたれかかっていた。醤油の焦げた香ばしいにおいに、そろそろいいかな、と焼きおにぎりを網から皿へ移す。

「まあ、授業が終わる頃には戻ってくるんだけどさ。大抵どこかで穴掘ってたって言うし。……ああ、あの偏執的な集中力と熱心さに関しては、お前らちょっと似てるかもな」
「えっ?」
 ふと気づいたように発せられた言葉に、思わず皿を取り落とすところだった。「何を言うんです」と呆れたように返すと、先輩は至極当然と言ったような顔で頷いた。

「いや、冗談で言っているのではないぞ。熱中するあまり学園に迷惑を掛けるところまでそっくりじゃないか」
「田村先輩がそれを言いますか……。それにしても、初めて言われましたよ、そんなこと」
 盆を手に取ると、田村先輩も壁から背を離して盆を持ち上げた。並べられた湯のみからは、白い湯気が立ち上っている。
「お茶、冷めちゃいませんか」
「ああ、いいんだ。ああ見えて潮江先輩、実は猫舌でな。それに熱い茶を淹れていたら、零した時に火傷しちゃうだろ。団蔵と左吉、あいつらすぐにケンカをおっぱじめるから危なっかしくて」
「なるほど」

 兵太夫と伝七を思い浮かべて納得する。もっとも、お茶の時間は喧嘩になるとすぐに立花先輩が制止するから、大事無いのだけれど。
「ところでさ、その焼きおにぎり、なんでニ個しかないの、自分用?」
「いえ、これは綾部先輩にと思って。綾部先輩、お茶の時間には必ず戻ってくるんです。お腹が空いたから帰ってくるなんて、本当に子供みたいな人ですよね」
 クスリと笑うと、先輩は意外そうに「へえ」と声をあげた。おれは首を傾げる。
「そう言う先輩こそ、そのおにぎり六個あるってことは、二つ食べるのは左門なんでしょう?」
 ちらと眼を遣ると、田村先輩はニッと口角を持ち上げて笑った。
「正解。問題無かったから今まで暫く放置していたんだが、会計室を探して学園中を駆け回っていたらしくてな。あいつは何も言わないが、腹の音がうるさくて敵わんので特別に二つにしてやった」

 おれは尊敬の眼差しで田村先輩を見上げた。視線に気づいた先輩は、気持ち悪そうに肩を竦めた。
「な、なんだよ」
「いやあ、あの左門を短時間で目的の場所まで連れ戻すなんて、すごいなあと思いまして」
「あのなあ……。そりゃあ、四六時中一緒にいる用具委員の富松には敵わないが、僕だって委員会では、あいつが一年の頃から世話してきてるんだよ。そりゃあ見つける時間だって早くなるってもんさ」
「そういうもんですかね」
「そういうもんだ」

 食堂から続く廊下の突き当たり、左右の分かれ道でおれと先輩は足を止めた。
「じゃ、僕はこっちだから。お茶、ありがとな」
「いえ。左門をよろしくお願いします。では」

 会釈して先輩とは反対の道を進む。暫く歩いた時、背中に「浦風」と声を掛けられた。振り返ると、田村先輩が笑顔でこっちを見ていた。
「綾部のこと、よろしくな。あいつ分かりにくい奴だけど、お前なら大丈夫そうだ」
「はあ……」
 再び首を傾げたおれをよそに、田村先輩は満足そうな顔で背を向けて行ってしまった。

(なんだったんだろう)
 その背中を見送り、おれは体の向きを変えた。皿の上に鎮座した飴色の焼きおにぎりは、まだ温かく、ほのかに湯気を立てている。

(冷めないうちに持って行かなきゃ)

 おれは盆を持ち直し、作法室へ続く廊下を歩み始めた。






了 








20130419